創業
創業家の豊田家が福山に定住を始めたのは、水野勝成の福山開城の時、元和5年に桑名より同行した時に始まります。その時より代々桑名屋という屋号を使っています。
明治15年豊田宗平が海産物問屋を福山市下魚屋町(現在の宝町)で開始しました。桑名の桑と自分の名前より宗をとって桑宗という名をつけたのです。又、桑を鍬に例えてであらわし、宗平のソを結び付け、(カネソ)という商標を用い始めました。
明治の末期、同じ福山市のフジワ安部(あんべ)商店が日本で初めて大型の煮干しいわしを食べやすくするために、原料を薄く削る「削り節」の開発に成功し、発売を開始しました。
削り機の原型を開発
大正5年、2代目豊田伝七も削り節加工を開始。当時の機械は未熟なものでしたが、5年間の研究の苦労を重ねて、色々な魚種も削れる機械を考案し、これが現在も使用している削り機の原型となっています。
豊田式削節機が完成してからの生産は順調に伸び、販路も地方から関西へと広がりました。
削り節はおいしさと便利さでどんどん普及しました。生産性も高まり、販売量も急激に増加し、昭和5年頃には、削節機械も20台を数え、原料保管に必要な冷蔵庫の建設計画に着手しました。昭和20年の戦災で焼失しましたが、昭和21年から工場の復興を計画し、翌22年には工場の再建が完成し営業を再開しました。
昭和24年、豊田水産加工株式会社を設立。初代社長に豊田正市が就任しました。
ティーパック式のだし「味パック」を発売
昭和37年には日本で初めてティーパック式のだし「味パック」を発売。発売当時は業務用で販路を拡大し、その後全国の生協などで採用されたことで売り上げが伸長していきました。
昭和50年代には味パック事業の急速な拡大に伴い、岡山県笠岡市茂平工業団地内に第二工場を建設、昭和63年には第二工場に花かつお工場も移転しました。
成長を目指し続けるチャレンジ精神の気持ちを込めて社名を変更
平成元年、第二工場に味パック新工場が完成し、福山市御船町本社から本部機能を移転しております。
平成7年には社名を「豊田水産加工株式会社」から「株式会社カネソ22」に変更しました。理由としては水産加工という呼び名が付くと鮮魚を加工するイメージを連想されるお客様が多かったことから、乾物原料を加工するメーカーとして昔からの屋号である「カネソ」を使用することとなりました。
また「22」は22世紀を指しており、次の世紀に向け会社が継続し、成長を目指し続けるチャレンジ精神の気持ちが込められています。